襲われたニワトリがBBQに至るまで@Embercombe

※注意:鶏がチキンになる一連の写真を掲載しています。


私は卵も鶏肉も食べるので、ニワトリの朝当番に手を挙げた。ちょっとした好奇心から始めてみたこの朝当番おかげで、ニワトリが殺された現場に遭遇することとなり、そのニワトリをBBQとしていただくまでの一連に携わる都会では得難い体験をすることなった。


祖父母(あるいは両親も)の世代においてはごく身近に経験したことかもしれないが、ここで伝える体験は私にとって衝撃的なストーリーである。


朝4:55。既に明るい。いつもより早く目が覚めて、鶏小屋へ行く。


昨晩、誰かが小屋の戸締りを忘れたようだ。これはよくあること。


いつものように、飲料水容器に水を注いだ後、パレット状の飼料を餌入れに加える。いつもは前日の餌が残っているのに今日は空っぽ。右側の餌入れに飼料をいれたところで・・・、何かがいつもと違うような雰囲気を感じる。


ふとあたりを見渡すと、首がないニワトリが小屋の近くに倒れているのが目に留まった(写真左の右側に映っている黒い物体が襲われたニワトリ)。恐る恐る、隣の鶏小屋に足を運ぶと、羽が散らばっている(写真右)。そして、あちこちに首をやられたニワトリが倒れている。
 


ショックで涙が出た。


どう処えば良いのかわからず、とりあえず皆が起きてくるまで待つことにした。丘の上へ行き、Embercombeからの美しい眺めを見ながら、自然と食についてぼんやり振り返ってみた。


命を失ったニワトリが散在する光景をみて動揺したが、キツネがニワトリを襲うというのは弱肉強食の自然界では自然なことで、よくよく考えると、自分も小さな頃から鶏肉を食べてきた。これまで、ニワトリが命を捧げてくれたことを身をもって感じてこなかったが、今回は人の代わりに動物が(おそらくキツネ)ニワトリを絞めたのだと。


さて、朝のチェックインミーティングが終わり、死んだニワトリをどうするのかと思いきや、食用に保存するという。最初は驚いたが、キツネに食われた切り口を除けば、劣化していないうちに処理すれば確かに食べられる。むしろ、安売りのどのような育て方をされたかわからない鶏肉よりも自然か。


さて、食べ物としてどう処理するのか、これは初めての体験となった。



まず内臓を取り出し、羽を取る。


自分自身もニワトリの処理を見よう見まねでやってみたが、他人がやっているのを見るのと自分がやるのとでは違った。死んだニワトリのうち、首が残っているものもあった。死んでいても首を落とすのには手が震えた。「鶏肉食べてきたよね」と言い聞かせながら、まだ温かさの残っているニワトリの首を落とした。こういった感触を知らずに、鶏肉を食べてきたんだなと。


ちなみに、お腹を切り開くと、砂肝、心臓(ハツ)、腸、卵巣などの内臓器官が綺麗に繋がっていた。砂肝やハツなどを食べる文化はここにはないので保存しなかったが、おー、焼き鳥にしたら美味しいのになもったいないと思ったり意外に冷静だったりする(ちなみに、以前ロンドンで、牛の内臓器官の活用方法を紹介するワークショップがシェフ向けに開かれていた)。


最後に、酢・塩水に付けた上で冷凍保存した。ここまでくると、鶏肉であり見慣れたもの。


数日後、池のほとりでBBQとして命をいただいた。久々に肉を食べ、みんなでワイワイ良い時間を過ごした。


ハーブマリネとチリ味の2種類のBBQ。相当な歯ごたえだったが美味しかった。


食べ物が食卓に上るまでのプロセスについては、映画「いのちの食べ方」やイギリスのテレビ局の一つであるチャンネル4の食関連の番組で何度か興味深く観てきたが、やはり自分で体験するのとは重みが違う。入り口としてメディアはいいが、関心のある人は、ニワトリの首を絞めるなど食のプロセスを体験してみるのがいいと思う(私自身、ニワトリの首を絞める体験はまだしていない)。「自分で処理できないのであれば、食べないという倫理観をもつべき」と、16歳のイギリス人ボランティアの子が言っていたが、彼女はどのように学んできたのだろうか。