震災から

昨日は震災とコミュニケーションの勉強会。正直、目を開かされる機会だった。


読売新聞社科学部長・編集委員長の小出重幸氏は、震災当日からの福島原発の原子炉の状況と合わせて、政府や東電らの対応などを歯切れよく説明。その後、今回様々な対応が遅れた要因について、その一つに「指示待ち。自分の範囲外に対して行動を取らない」といった(政府・省庁・企業らの)姿勢があった、領域を越える社会の発信がなかったこと、科学者・技術者としてのエトスの欠如を指摘された。そこで見えてくるのは人間力の低下であるという。その人間力を培う根本的な教育の重要性を強調されていた。


ここでいう教育に、スウェーデンの中学教科書で述べられているような「あなたの人生は有限です。あなたは法律、経済、社会保障など様々な仕組みがあり他の人々と関わる社会の中で生きています。あなたは常に選択に迫られている中、何を選択しますか」といった生きる基本的な姿勢が含まれていると思う。こういったことは、日本では家庭で教育されてきたことだというけれど、家庭教育が一様でない今学校あるいはその他の方法でそれがなされうるのかもしれない。


こういう議論は日本でも起こってきていると思う。これについて一人一人が考えて、自分の行動と合わせて、いろいろな場所で議論が活発に行われることが今必要なんだと思う。


上に書いたスウェーデンの中学教科書のような教育は「市民教育」として捉えられるという。「市民」という概念がすんなり入ってこないからか、市民教育についてこれまであまり考えたことがなかったが、日本でも既に多くの議論がされている。世界のシチズンシップ概念の変化を見るとその始まりはイギリスだという。社会教育における「市民教育」の可能性によると、「市民のことは市民が決める」という民主主義の理念の実現に不可欠な知識・技術と、それを実践する力を身につけさせることが市民教育の本来の目的だとされ、人権学習、ボランティア活動などの実践のなかでそれは育成されていくという。


(参考)今回の話を受けていくつか気になった「市民 教育」「科学者 エトス」などの関連情報について覚え書き